中原中也と「かせがねばならぬ」と『玩具の賦』 / 詩

中原中也と「かせがねばならぬ」と『玩具の賦』 /  詩

中原中也は、自身の詩論を記した「芸術論覚え書」のなかで、「かせがねばらならぬ」は芸術とは交わらない、と綴っている。

以下、「かせがねばらならぬ」に言及された部分を抜粋する。

「これが手だ」と、「手」という名辞を口にする前に感じている手、その手が深く感じられていればよい。

一、名辞が早く脳裡に浮ぶということは少くも芸術家にとっては不幸だ。名辞が早く浮ぶといふことは、やはり「かせがねばならぬ」という、人間の二次的意識に属する。「かせがねばならぬ」という意識は芸術と永遠に交らない、つまり互いに弾き合う所のことだ。

一、そんなわけから努力が直接詩人を豊富にするとは云えない。しかも直接豊富にしないから詩人は努力すべきでないとも云えぬ。が、「かせがねばならぬ」という意識に初まる努力はむしろ害であろう。

出典 : 中原中也「芸術論覚え書」

この文言が、単なる芸術性と商業性の両立は難しい、という話で終わってしまっては本質を見落とすことになる。

また、中原中也は生涯働くことはなかった(彼にとっては詩作が仕事であり、天職だった)が、その自己弁護と狭く捉えられるのも、中也からすれば不本意だろう。

重要なのは、冒頭部分。「これが手だ」と、「手」という名辞を口にする前に感じている手、その手を深く感じられればよい、という一節である。

僕たちは普通、「手」を認識するときに、名称としての「手」と、その名称にこびりついた経験や常識に伴った、あらゆる先入観がまとわりつく。

そして、まもなく手は、「手」として認識され、その「手」について語り出す以外になくなる。

社会的な存在として生活を送る以上、この「手」以降の世界から完全に抜けることは不可能だろう。

しかし、その「手」以降の世界は二次的意識に属する、「かせがねばならぬ」という意識の世界であり、この世界は、芸術の世界とは永遠に交わらず、互いに弾きあうものだ、と中原中也は言う。

芸術(中也にとっては特に詩の世界)とは、純粋な混沌世界から「手」に向かうまでのほんの一瞬、「名辞を口にする前に感じている世界」で遊ぶことを指している。

もちろん、この宙ぶらりんの世界に常在すれば、いつまでも安定しないなかで心細さと不安に襲われることになる。

中原中也は、この世界に触れようとしたこともひとつの要因となったのか、神経衰弱にたびたび悩まされ、晩年は精神病院に入院したこともある。

そして、その入院生活の疲労もたたり、退院後すぐ三十歳の若さで亡くなる。

生涯「詩」を求め、もがきつづけた中也が、新聞記者だった友人の大岡昇平に向けて思いの丈をぶつけた『玩具の賦』という作品があるので、最後に記載したいと思う。

 

玩具の賦 昇平に

どうともなれだ
俺には何がどうでも構はない
どうせスキだらけぢやないか
スキの方をへらさうなんてチヤンチヤラ可笑おかしい
俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ
スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる
それで何がわるからう

俺にはおもちやが要るんだ
おもちやで遊ばなくちやならないんだ
利得と幸福とは大体はまざ
だが究極ではまざりはしない
俺はまざらないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ
月給がえるからといつておもちやが投げ出したくはないんだ
俺にはおもちやがよく分つてるんだ
おもちやのつまらないとこも
おもちやがつまらなくもそれをもてあそべることはつまらなくはないことも
俺にはおもちやが投げ出せないんだ
こつそり弄べもしないんだ
つまり余技ではないんだ
おれはおもちやで遊ぶぞ
おまへは月給で遊び給へだ
おもちやで俺が遊んでゐる時
あのおもちやは俺の月給の何分の一の値段だぞと云ふはよいが
それでおれがおもちやで遊ぶことの値段まで決まつたつもりでゐるのは
滑稽だぞ
俺はおもちやで遊ぶぞ
一生懸命おもちやで遊ぶぞ
贅沢なぞとは云ひめさるなよ
おれ程おまへもおもちやが見えたら
おまへもおもちやで遊ぶに決つてゐるのだから
文句なぞを云ふなよ
それどころか
おまへはおもちやを知つてないから
おもちやでないことを分りはしない
おもちやでないことをただそらんじて
それで月給の種なんぞにしてやがるんだ
それゆゑもしも此の俺がおもちやも買へなくなつた時には
写字器械
云はずと知れたことなが
おまへが月給を取ることが贅沢だと云つてやるぞ
行つたり来たりしか出来ないくせに
行つても行つてもまだ行かうおもちや遊びに
何とか云へるがものはないぞ
おもちやが面白くもないくせに
おもちやを商ふことしか出来ないくせに
おもちやを面白い心があるから成立つてゐるくせに
おもちやで遊んでゐらあとは何事だ
おもちやで遊べることだけが美徳であるぞ
おもちやで遊べたら遊んでみてくれ
おまへに遊べる筈はないのだ

おまへにはおもちやがどんなに見えるか
おもちやとしか見えないだらう
俺にはあのおもちやこのおもちやと、おもちやおもちやで面白いんぞ
おれはおもちや以外のことは考へてみたこともないぞ
おれはおもちやが面白かつたんだ
しかしそれかと云つておまへにはおもちや以外の何か面白いことといふのがあるのか
ありさうな顔はしとらんぞ
あると思ふのはそれや間違ひだ
北叟笑にやあツとするのと面白いのとは違ふんぞ

ではおもちやを面白くしてくれなんぞと云ふんだらう
面白くなれあ儲かるんだといふんでな
では、ああ、それでは
やつぱり面白くはならない写字器械
――こんどは此のおもちやの此処ンところをかう改良なほして来い!
トツトといつて云つたやうにして来い!

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