小村雪岱『おせん 傘』
小村雪岱『おせん 傘』 一九三七年
この作品は日本画家の小村雪岱の代表作の一つで、邦枝完二が、一九三三年(昭和八年)に新聞で連載していた小説『おせん』の挿絵のワンシーンを、また別に描きあらため、国画院展に出展した『おせん 傘』である。
線の細い、繊細な雨に、傘、傘、傘、と傘が主役になる大胆な構図が幻想的にも映る一作となっている。
小説の舞台は江戸時代。実在した谷中の水茶屋、鍵屋の看板娘「笠森お仙」がモデルとなった悲恋物語である。
惚れたおせんに食い下がる若旦那の徳太郎と、彼をいさめる彫り師の松五郎、一体なんだと集まってくる人だかりを傘で表現し、その傘に埋もれるように黒頭巾のおせんが去っていこうとしている。
「かりにもお前さん、江戸一番と評判のあるおせんでげすぜ。いくら若旦那の御威勢でも、こればッかりは、さう易々たアいきますまいて。」
おせんを首尾よく逃してやつた雨の中で、桐油から半分顔を出した松五郎は、徳太郎をからかふやうにかういふと、我れとわが鼻の頭を、二三度平手で引ッこすつた。
腹立たしさに、なかば泣きたい気持をおさへながら、松五郎を睨みつけた徳太郎の細い眉は、止め度なくぴくぴく動いてゐた。
出典 : 邦枝完二『おせん』
とても江戸風の場面で、雪岱の絵も、江戸の情緒とモダンなセンスが融合している。
文中の「桐油」というのは「桐油合羽」という厚手の日本紙に、カキ渋や桐油などを塗って乾燥させた紙製のカッパのこと。
挿絵の評判もよく、この『おせん』が連載されているあいだ、掲載紙の部数が二万部も伸びたという話があるほどの人気ぶりで、小村雪岱が挿絵画家として一躍注目を集めるようになった作品でもある。
『おせん』の宣伝ポスター
小村雪岱が、『おせん』の挿絵から選び、作品展に出品しているのは、冒頭の『おせん 傘』以外に、『おせん 庭先』などもある。
挿絵の原図から説明的な要素を削り、ひとまわり大きく描き直し、作品展に出品した。
あえてそのカットを選んだということは、雪岱にとっても自信のある絵だったのだろうということが伺える。