小村雪岱 Settai Komura 挿絵
大正から昭和初期にかけて活躍した日本画家の小村雪岱は、装丁やデザインの他に、挿絵画家としても人気だった。
余白を大胆に駆使し、繊細な線で描写する画風は、「雪岱調」と呼ばれている。
小村雪岱が挿絵画家としてデビューしたのは一九二二年(大正十一年)、里見弴が『時事新報』に連載した『多情仏心』の挿絵が最初だった。
この頃の雪岱は、資生堂の社員だったので、出社してから社内で挿絵を仕上げ、帰りに新聞社に届けたという。
小村雪岱の挿絵画家としての人気が一挙に花開いたのは、一九三三年(昭和八年)。
邦枝完二の『おせん』に添えられた、江戸と近代的な感覚を調和させた挿絵がきっかけとなった。
その他、『お伝地獄』『草枕』『雨月物語』『最遊記』など、生涯に渡って二百作にも及ぶ小説の挿絵を手掛け、絵の枚数は六千枚以上とも言われる。
小村雪岱の手がけた最後の挿絵は、都新聞連載『西郷隆盛』の第八十八回。
その回の挿絵を描き上げた日の夜に倒れ、絵が掲載された十月十七日に小村雪岱は亡くなる。
死因は脳溢血。一九四〇年、享年五十四歳だった。
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