立原道造『眠りのほとりに』
立原道造は、一九一四年に生まれ、一九三九年に二十四歳という若さで結核によって亡くなる夭折の詩人である。
詩人というだけでなく、東京帝国大の建築学科を卒業し、在学中には辰野賞を連続で受賞するなど建築家としても将来を期待された。
詩風は、柔らかな文体と叙情的な情景描写が特徴的だ。以下は、詩集『暁と夕の詩』に収録された『眠りのほとりに』という詩である。
『眠りのほとりに』
沈黙は 青い雲のやうに
やさしく 私を襲ひ……
私は 射とめられた小さい野獣のやうに
眠りのなかに 身をたふす やがて身動きもなしにふたたび ささやく 失はれたしらべが
春の浮雲と 小鳥と 花と 影とを 呼びかへす
しかし それらはすでに私のものではない
あの日 手をたれて歩いたひとりぼつちの私の姿さへ私は 夜に あかりをともし きらきらした眠るまへの
そのあかりのそばで それらを溶かすのみであらう
夢のうちに 夢よりもたよりなく ──影に住み そして時間が私になくなるとき
追憶はふたたび 嘆息のやうに 沈黙よりもかすかな
言葉たちをうたはせるであらう出典 : 立原道造『暁と夕の詩』
この詩が収録された『暁と夕の詩』は、立原道造の第二詩集で、一九三七年十二月に私家版で刊行。生前に出版された詩集は、第一詩集の『萱草に寄す』と、『暁と夕の詩』の二冊となっている。
また、建築家として立原道造が構想した図面をもとに、二〇〇四年にはヒアシンスハウスが建てられている(参照 : ヒアシンスハウスを見る|近代建築の楽しみ)。
立原道造の彼にとっての晩年の手紙には、ヒアシンスハウスに関する記述も見られる。
それから、「ヒアシンス・ハウス」といふ週末住宅をかんがへてゐます。これは、浦和の市外に建てるつもりで土地などもう交渉してゐて、これはきつとこの秋あたりには出来てゐるでせう。
五坪ばかりの独身者の住居です。これも冬のあひだしよつちゆうかんがへ、おそらく五十通りぐらゐの案をつくつてはすててしまひました。今やうやくひとつの案におちついてゐます。
出典 : 立原道造の手紙(一九三八年三月下旬頃)
上記の立原道造のスケッチをもとに、全国から寄付を募り、また多くの市民や企業、行政の協調によって埼玉県の別所沼公園(彼は別所沼のほとりに建てることを夢見ていた)にヒアシンスハウスが建てられた。
僕はひとりで夜がひろがる 立原道造詩集 /パルコ出版/立原道造