茨木のり子『みずうみ』 / 詩
世の中が騒々しくなればなるほど(たとえばそれは情報化社会という側面によって)、僕たちは「誰か」のために感情を揺さぶられる。
その「誰か」というのも、恋人や友人、家族といった身近な存在だけでなく、遠い遠い、知らない人たちのことまで羨ましく思う。
まばゆい光に取り囲まれ、様々な欲望が刺激され、次第に自分がほんとうに欲していることが何かわからなくなってくる。
こうした騒々しさを考えるとき、詩人の茨木のり子さんの『みずうみ』という詩の「人間は誰でも心の底にしいんと静かな湖を持つべきなのだ」という一節が浮かぶ。
『みずうみ』
だいたいお母さんてものはさ
しいん
としたとこがなくちゃいけないんだ名台詞を聴くものかな!
ふりかえると
お下げとお河童と
二つのランドセルがゆれてゆく
落葉の道お母さんだけとはかぎらない
人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖を持つべきなのだ田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言でそれこそ しいんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ早くもそのことに
気づいたらしい
小さな
二人の
娘たち出典 : 茨木のり子『茨木のり子詩集』
二人の小さな女の子が言った、「しいんとしたとこ」。この言葉を、茨木のり子さんは、心の底の湖、として受け取る。
茨木のり子さんと言えば、代表作として「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」という一節がよく知られている。
この「しいんと静かな湖」という言葉も、守るべき自分の感受性と深く関連しているのだと思う。
人間の魅力とは、この隠し持っている(そしてきっとそれは少し話せばわかる)湖から発する霧だと茨木さんは言う。
直接、具体的に深い話をしないでも、何気ない一瞬で、「ああ、そうなんだ」と心の底で通じ合う感覚が芽生える。
深い場所で繋がるためにも、自分自身と繋がるためにも、自分のなかの「しいんと静かな湖」を大切にしたいなと思う。