無印良品を代表とし、日本だけでなく国外でも評価の高いデザイナーに、武蔵野美術大学の教授でもあるグラフィックデザイナーの原研哉さんがいる。
原研哉さんは、1958年生まれで、岡山県出身。現在は、日本デザインセンターの代表取締役社長として、数多くの仕事に携わっている。
デザインの特徴は、「シンプル」という一言に尽きる。そのシンプルと言うのも、単にミニマムに削ぎ落とす、というよりも、日本的な「空白」を軸に、デザインの対象となるものが一つの「器」となるように形作る、という点に、原デザインの魅力がある。
また、「もの」のデザインだけでなく、「こと」のデザインにも力を入れている。『RE-DESIGN:日常の21世紀』展を始めとし、『HAPTIC』『SENSEWARE』『Ex-formation』など、繊細かつ創造性に富んだ展覧会も担っている。
自身のデザイン哲学を綴ったエッセイや評論、対談なども、その表現力や見方が面白く、新しい視点として気づかされるような名言も多数ある。
以下、原研哉さんの本を読んで個人的に印象深かった、デザインに関する名言を紹介したいと思う。
白があるのではない。白いと感じる感受性があるのだ。だから白を探してはいけない。白という感受性を探ることによって、僕らは普通の白よりももう少し白い白に意識を通わせることができるようになる。
原研哉『白』
代表作の一つである『白』から、原さんの考える「白」に関して綴った冒頭の一文。
白は、単体の色というよりも、「白い」と感じる感受性であり、これは空白や静けさという感覚とも繋がっている。
木の葉は一枚一枚がすべて太陽の光を少しでも効率よく受けようと、意志を持って隙間なく生い茂っているから、樹として美しい。
原研哉、阿部雅世『なぜデザインなのか。』
デザイナーの阿部雅世さんとの対談集『なぜデザインなのか。』に出てくる一節で、自然の美しさに向けられた眼差しが、デザイナーらしい表現で言語化されている。
頭の中にあるイメージを外に出す、感じたことを外に出すということを、抵抗なくスムーズにできるのがドローイングでありスケッチなんです。「自分でしでかしてしまうこと」に対して、平気になれること。クロッキーをやっていると、いちいち恥ずかしいなんて思っていられない。とにかく頭の中にあることや見たことを瞬間的に外に出してしまうことが大事なんです。
原研哉、阿部雅世『なぜデザインなのか。』
同じく、『なぜデザインなのか。』より、スケッチを行うことの意味合いについて語っている。
僕は絵を描くことがないので、比喩的な話として受け止めている面はあるものの、その瞬間のイメージや感覚を、さっと出してみる、その習慣化が大事だということは分かるように思う。
何もないテーブルの上に箸置きを配する。そこに箸がぴしりと決まったら、暮らしはすでに豊かなのである。
原研哉『日本のデザイン〜美意識がつくる未来〜』
豊かな暮らしというものを、美的な側面から表した一文。暮らしに関する美的な感受性においては、抑制されたものが持っている美しさがある。
何かを分かるということは、何かについて定義できたり記述できたりすることではない。むしろ知っていたはずのものを未知なるものとして、そのリアリティにおののいてみることが、何かをもう少し深く認識することに繋がる。
原研哉『デザインのデザイン』
分かる、ということは、既知の未知化でもあり、本来分かっていると思っていたものが、実は分かっていなかった、という未知化によって、より分かりたい、という能動性を刺激することの重要性を指摘している。
この『デザインのデザイン』は、デザインという概念を、デザインするために書かれた本で、もともとは、「それはデザインではない」というタイトルにしようと考え、嗜められ、この書名になったそうだ。
自然とつきあうということは「待つ」ということであり、待つことによって自然の豊穣が知らぬ間に人間の周囲に満ちる。
原研哉『デザインのデザイン』
自然との付き合い方を、端的に表現している。それは「待つ」ということだ。人工の世界だと、「待つ」ことを効率化し、人為的に短縮しようとする。でも、自然は、「待つ」こと。そして、それゆえに満ちる豊穣がある。
デザイナーは受け手の脳の中に情報の建築を行っているのだ。その建築は何でできているかというと、様々な感覚のチャンネルから入ってくる刺激でできている。視覚、触覚、聴覚、嗅覚、味覚、さらにそれらの複合によってもたらされる刺激が受け手の脳の中で組み上げられ、僕らが「イメージ」と呼ぶものがそこに出現するのだ。
原研哉『デザインのデザイン』
デザイナーが行っていることは、様々な感覚を通して、受け手の脳内にイメージをつくる、情報の建築なのだと指摘する。
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原さんの文章は、決して固く難解な文体ではないものの、ほどよく緊張感があり、読みながら脳内に映像も描きやすく、まるでデザインのような文章の雰囲気を醸し出している。
デザインの感性や発想力だけでなく、「言葉」もとても大事にしているようだ。
ある本のなかで、原さんは、「ここぞという時に、切実な言葉を選択できないと、物事がうまくいかない」と記している。