高橋松亭 / 絵

懐かしい日本の風景を描く、高橋松亭しょうていという画家がいる。高橋松亭は、明治時代から昭和にかけての浮世絵師、版画家で、本名、松本勝太郎と言う。

1871年(明治4年)に浅草で生まれ、9歳の頃から日本画を学ぶ。15歳頃には宮内省の外事課に勤め、外国の勲章の写しや、役人の服などのデザインの仕事に携わるようになる。

高橋松亭「都南八景之内 大森新井宿」 1921年

1891年(明治24年)、岡倉天心を会頭とし、同時代の青年画家らとともに「日本青年絵画協会」を設立する。

その他にも、画家たちが互いに批評しあう場として天心が創設した「互評会」に、当時若手だった横山大観、下村観山らと参加している。

この頃、転居と同時に教科書や雑誌、新聞などの挿絵を描くようになる。

その後、浮世絵の複製版画制作に関わった縁で渡邊庄三郎と出会う。渡邊は、日露戦争をモチーフにした作品を最後に終息していた木版画の文化を復興させたいと、「新版画運動」を提唱し、この運動に高橋松亭も参加する。

渡邊版画店より販売された松亭の版画は、海外に輸出され、欧米でも人気となる。

左は関東大震災後、右は震災前の作品(色味が明るく変更された)

しかし、1923年に起きた関東大震災で店舗が被災。松亭の作品も500点以上が消失したが、まもなく再建を果たす。

松亭は風景画を中心に制作を続け、1945年、肺炎のため逝去。享年76歳。

以上が、ざっくりとした高橋松亭の経歴である。

作品の主題に関しては、渡邊版画店の意向もあり、江戸時代の情緒が残る山水人物画が中心である。

渡邊庄三郎が目指したのは、かすれや滲みといった日本画特有の風合いを版画で再現することだった。

渡邊の「新作版画(初期「松亭版画」)の趣は、派手さを抑えた渋い色彩を用い、木目の細かい繊細な描線による品の良い写実画となっている。

さらに、明治時代以降の西洋化が進んだ近代的風景ではなく、日本画の表現が最も効果的な江戸時代の情緒が残る、あるいは江戸時代そのものの風景や風俗、すなわち渡邊のいう「日本の特長ある山水人物が描写され、歌川広重の構図が意識的に採用されている。

清水久男『こころにしみるなつかしい日本の風景 近代の浮世絵師・高橋松亭の世界』

桜や雪、夜の月などの情緒的な背景に、うっすらと人物が描かれる。背中越しや傘に隠れた人物が多く、風景とともに一つの情景を表現している。

今となってはいっそう懐かしい日本の景観の情緒が、余すことなく描き出されている。

松亭は、海外向けのお土産としても絵を描くなど、様々な趣向をこらし、描き分ける技術も持っていたと言う。

高橋松亭の画集としては、『こころにしみるなつかしい日本の風景―近代の浮世絵師・高橋松亭の世界』がある。

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