雑誌 SWITCH の特集で読む、岩井俊二の下積み時代

雑誌 SWITCH 二〇二〇.二月号 岩井俊二特集

雑誌SWITCHの二〇二〇年二月号は、映画監督の岩井俊二さんを特集。写真は写真家の濱田英明さんが担当し、一冊のうち半分近くが岩井俊二監督に関する記事になっている。

岩井俊二

SWITCH  目次


特集の中身は以下の通り。

Ⅰ. 岩井俊二監督ロングインタビュー。最新作『ラストレター』のこと。若き日々の下積み時代に考えていたこと。日本を離れ、世界へ向かった理由など。

Ⅱ.『ラストレター』に出演する俳優陣、松たか子、広瀬すず、森七菜、神木隆之介、福山雅治の五人が語る岩井俊二監督と、岩井さんの世界とは。

Ⅲ. 岩井組(助監督)出身である行定勲監督との師弟対談。


Ⅳ. 過去『電車男』『告白』『モテキ』『君の名は。』『天気の子』など、数々の名作ヒットを生み出し、『ラストレター』も担当する、日本の映画界を代表する名プロデューサー川村元気さんが語る岩井俊二の魅力。

Ⅴ. 岩井監督自身が語る自身の主要作品の解説や制作エピソード。

Ⅵ. 蒼井優、浅野忠信、黒木華、Charaなど、岩井映画で主要キャストを担ってきた俳優たちが見た「映画監督・岩井俊二」。

Ⅶ. 名音楽プロデューサーで、『スワロウテイル』や『リリイ・シュシュのすべて』で岩井監督とタッグを組んでいる小林武史さんとの対談。

Ⅷ.『ラストレター』のロケ地となった岩井俊二監督の故郷でもある宮城県仙台市の地を、普段カメラを持って趣味で風景写真を撮るということのない岩井さん自身が撮ったスナップ写真(この取材で使用されたカメラはRICHO GR Ⅲ)。

岩井俊二の下積み時代

SWITCHの冒頭のインタビュー記事では、普段あまり語られない岩井俊二監督の下積み時代のことが、赤裸々な言葉で語られている。

まず、そのインタビュー内容に触れる前に簡単なプロフィールを。

岩井俊二監督は、一九六三年、宮城県仙台市に生まれ、地元の仙台市立西多賀中学校、宮城県仙台第一高等学校を卒業後、横浜国立大学教育学部美術学科を入学する。

学生時代は小説家志望で、漫画の持ち込みなども行なっていた。また映画も作っていたが、プロの現場でアルバイトをするといったことはなかった。

岩井俊二作品と言えば、「音楽」も魅力の一つで、『花とアリス』や『ヴァンパイア』など岩井監督自身が映画音楽を手がけることもある。

岩井監督は、音楽について映画と同様、独学で試行錯誤の末に自分の形を構築していったと言う。以前、CINRAのインタビューで次のように語っている。

―今回のアニメーション作品もそうですが、岩井さんは誰かに教わるよりも、自分で試行錯誤しながら身につけていくほうが好きなんですか?

岩井:そもそも映画がそうでしたからね。誰から習ったわけでもないし、今は音楽もやっていますけど、それも独学です。でも、最初に習ってしまうところが実は一番オイシイところだったりするので、そこを人から習ってしまいたくないっていうか。むしろある程度上手くなると、それができて当たり前になってきて、「こうすれば大体こうなるよね」っていうことがわかって、だんだん退屈になってしまう。でも、クリエイターはそこで退屈を感じるくらいじゃないといけないと思うんですけどね。

出典 : 初のアニメ監督に挑んだ岩井俊二が語る、トライ&エラーの楽しさ

もともと映画監督志望だったわけでなかったが、いずれにせよ映像で生活をしたいと思っていた岩井さんは、特に就活もせず、人脈のためにイベント会社でアルバイトをしながら、フリーランスのような形で仕事を探した。

アルバイト先で出会ったひとに、「なにをしてるの?」と訊かれるたびに、「映像を撮っています」と答えて自分の作品を見せたり、名刺を作って“ディレクター”と書いて渡すなどしながら仕事を取った。二十代前半から半ば頃のことだった。

こうして一年くらいのあいだは、カラオケの仕事からミュージッククリップまで来る仕事はすべて引き受け、現場のしきたりやプロのスタッフとのコミュニケーションなど現場の空気感やシステムを学んだ。

しかし、次第に岩井さんのなかに不満や苛立ちが溜まっていった。このときのストレスの原因は主に二つあったと岩井さんは語る。

一つは日本の制作現場への違和感。その頃の現場の映像技術や感覚が、自分の知っている海外作品と比較した際にずいぶんとローカルなものに感じ、現場の「プロ」の仕事に納得がいかなくなっていた。

もう一つはイマジネーション。学生時代には自分の想像力を百パーセント使って自由に制作していたのに、「仕事」になってからは受注作品なので自身のイマジネーションをほとんど発揮できていないという感覚にさいなまれていた。

今になって思うと懐かしいんですけど、当時は常に山で遭難しているような心持ちで、その頃は完全に仮面を付けて仕事をしていました。たとえこの先自分のやりたいことがやれたとしても、それを理解してくれる人に出会うことはないだろうと思っていたので。

出典 :『SWITCH 二〇二〇,二月号 岩井俊二が築いてきたもの』

職場環境も劣悪で、殴ったり殴られたりといった暴力も横行し、さらに周りは自分の追い求めていたレベルにも達していない。何一つ面白くない。

限界に達した岩井監督は、一人でいるときにふと「辞めようかな」と呟いた。

そして、言葉にした瞬間、「辞めて自分に何があるのか、辞めてもお先真っ暗だ」と思い、フリーズ。そんなときに友人と海に行き、相談しているうちに、今自分の与えられている環境で、できるかぎりやりたいことをやってみよう、と決意する。

その当時任されていたアイドル番組があり、放ったらかしの状態だったので、この番組で好き放題やってもきっと上も何も言って来ないだろうと踏んだ岩井監督は、思いっきり自分の好きなように行なった。

番組のなかで勝手にショートドラマを作ったり、ミュージッククリップを作って入れ込んだり、番宣のCMを制作したり、特に誰に頼まれたわけでもなく、与えられた環境で思うままに遊んだ。

すると、それがきっかけとなってミュージッククリップの依頼が届くようになり、今度はそのミュージッククリップを気に入ったという人から関西の深夜ドラマ制作の話が来た。

ホラーをテーマにしたその深夜ドラマでは、予算がなく誰も使っていなかったVFXビジュアルエフェクトを使った演出が局内で評価され、プロデューサーから直接指名されるようになった。

この際の深夜ドラマ制作は、唯一岩井俊二監督が「勝ちに行った」作品だったと言う。

こんな風にコンペティション的に、勝負に勝つことをとにかく目指して作品を作ったことは後にも先にもありません。テレビ局のニーズとか、プロデューサーの人たちの趣味とか、すべて分析して作ったものなので。とはいえ、自分のなかの譲れない部分は決して譲りませんでした。自分にとってのドラマ一作目だし、変なものが後に残るのは嫌でしたから。

出典 :『SWITCH 二〇二〇,二月号 岩井俊二が築いてきたもの』

それから二作目も、大変な現場ではあったものの岩井監督なりのクオリティを保って無事に制作し、三作目のときにはもうプロデューサーの信頼をがっちり得た。「何を作ってもいいです、惚れ込んだので」と言われ、岩井監督は『マリア』という作品を制作する。

「マリア」

突然、妊娠していることに気づいた太めのOL・マリア(中島唱子)。クリスマス前後に妊娠したと思われるが、彼女はこれまで男性経験が全くなかった。訳がわからず悩んだマリアは堕胎しようとするが、胎児は急速に成長し、手には十字架の聖痕現象が現れる。やがてマリアは、奇跡を起こしていく。

出典 : initial イニシャル~岩井俊二初期作品集~

この作品で、ようやく氷の下から出られた感覚だったという岩井監督。しかし、現場では毎回役者やスタッフとの衝突が続いた。

理由としては、当時の一般的な方法と、岩井俊二監督がハリウッド作品などを観ながら自分独自に模索していった方法に大きな違いがあったようだ。

とにかく、そんな風にして、その後も、最初は猫をかぶり、職人に徹して与えられた役割をこなしながら自分なりのオリジナリティを入れ、信頼を得たら思いっきりやりたいようにやる、ということを続けた。

その頃出会ったのが『王様のレストラン』や『古畑任三郎』を手がけるプロデューサーの石原隆さんだった。

石原さんは、クリスマス特番に岩井俊二監督を指名し、何をやっても構わない、と委ねた。岩井さんは、だったら学生時代に撮った作品の延長にあるものを作ろう、と意気込む。

こうして出来たのがドラマ『GHOST SOUPゴーストスープ』。この作品で、ようやく学生時代のような自由な感覚のまま、プロの現場で表現できるようになったと岩井監督は語る。

当時、岩井監督は自分のクオリティに確信に近いものを持っていた。そして、ドラマの企画として映画的な『FRIED DRAGON FISHフライドドラゴンフィッシュ』を制作。この作品がきっかけとなり、映画の依頼が岩井俊二監督に届き、一九九六年公開の『スワロウテイル』に繋がっていく。

岩井監督の長編映画デビュー作は中山美穂さん主演の『Love Letter』だが、企画案としては、先に『スワロウテイル』があったと言う。

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