宮沢賢治の絵

詩人の宮沢賢治は、自作の数点の絵を残している。絵はほとんどが水彩画で、幻想的な題材や、まるでカンディンスキーの抽象画のような特徴的な作品もある。

それぞれ題名はなく、知られている名称は死後につけられた仮題とされ、戦災で焼失した絵もある。

宮沢賢治が一体いつ頃から絵を描き始めたのか、といった詳細は分かっていないが、1924年に『春と修羅』が刊行されたあと、『風の又三郎』や『注文の多い料理店』を書いている頃ではないか、と考えられている。

賢治の水彩画のなかで特に有名なのは、『日輪と山』と呼ばれる絵で、完成度も高く、賢治自身も気に入って自分の部屋に飾っていたそうだ。

宮沢賢治 水彩画(『日輪と山』)

この山と陽の風景画の舞台となったのは、盛岡市内か小岩井農場の辺りから見た岩手山だという説が有力のようである。

ただ、自らの詩を「心象スケッチ」と呼んでいた賢治なので、この絵も他の水彩画と同様に具象画というより、心象の風景を描いたものと言ったほうがよいのかもしれない。

美術評論家の窪島誠一郎氏は、著書『詩人たちの絵』のなかで、この日輪と山を描いた風景画に関し、「賢治がつねに脳裡にえがいていた人間の精神の孤峰こほうと、仏教上の感覚との接点を表現した絵」と表している。

宮沢賢治 水彩画

宮沢賢治 水彩画

宮沢賢治 水彩画(焼失)

宮沢賢治 水彩画

宮沢賢治 水彩画(『月夜のでんしんばしら』)

この絵は『注文の多い料理店』に収録された『月夜のでんしんばしら』を題材としたものだと考えられる。

月夜を背景に擬人化された電信柱の絵で、原画は1945年(昭和20年)に戦争で焼失している。

宮沢賢治 原稿用紙に書かれたミミズクの絵

最後の簡素な動物の絵は、原稿用紙に落書きされたイラストのようなタッチで、『月を背にしたミミズク』や『ふくろう』と呼ばれている。

この絵は、たぶん過去に賢治関連のなにかの本で見たのだと思うが、ミミズクの体つきと眼差しが印象深く、不思議で可愛く(ちょっとトトロにも似ている?)どこか記憶に引っかかる。夜の森にひょっこりと現れそうだ。

僕はこの『月を背にしたミミズク』という仮題から、鳥の背景にある丸いものが月だったのだと知った。

どの絵も、詩人の描いた絵という印象が強く、一言では説明ができないような、幻想的で童話的な世界でもある。

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