昔、友人が、なぜ画家は長生きで詩人は短命なんだろうといった話をしていた。確かに中原中也にせよ、八木重吉にせよ、宮沢賢治にせよ、詩人は短命な印象がある(「夭折」というと詩人に使われることも多い気がする)。一方、モネであったりピカソであったりと、(もちろん若くして死んだ画家もいるけれど)画家は長生きの人が多い印象を受ける。
熊谷守一という猫や蝶々など身近な生き物の絵を、独特の簡略化された形態や彩りで描いた画家がいる。へにゃんと横になっている猫や、雨粒が落ちた瞬間など、まるで子供が子供のまま成長したようなその絵には、こういう風に見えているんだろうなという画家の眼差しや世界に引き寄せられる力があるように思える。
そんな守一もまた長生きの画家の一人で、色々と読んでいると、むしろその長生きこそが、この画家の特徴の一つでもあるように思えてくる。彼は1880年生まれで、1977年に97歳で亡くなる。「仙人」と呼ばれることもあったようで、風貌や生き方などはまさに仙人のような雰囲気を醸し出している。
守一が91歳のときに自身の生涯や絵について語ったことをまとめた『へたも絵のうち』という本がとても面白く、言葉にいい空気が流れ、いい風が吹き込んでくるようだった。へたも絵のうち、というのはよく言っていた持論のようで、整えられたうまさよりも、「へた」であることの可能性の広がりやその人らしさが大事であると考えていたようだ。
語っている内容自体は必ずしも穏やかなものばかりではないものの、自然体の淡々とした語り口で、その個性や凄みのようなものが伝わってくる。言葉から滲み出る人柄も力みがなく、安心してすらすらと読める。
生きている、ということを精一杯に生きた人なのだろうなと思う。特に望みもないが、強いて言うなら「いのち」であり、もっと生きたい、と本のなかでも語られ、また晩年の守一の日常をモチーフにした映画『モリのいる場所』でも、「生きる」ということに関するこんなシーンがある。
守一が、妻に、「もう一度人生を繰り返すことができるとしたら、どうかな」と尋ねると、妻は、「それは嫌だわ、だって疲れるもの。あなたは?」と言う。守一は、「おれは、何度でも生きるよ。今だって、もっと生きたい。生きるのが好きなんだ」と答える。
この突き抜けるような、澄んだ「生きる」ということへの想いを語るシーンに、思わず込み上げるものがあった。本のなかで語っていた、もっと生きたい、という願いも、やがて訪れる死を受け入れながらも自然とこぼれた言葉のように思えた。
また、長生きと言っても必ずしもずっと元気いっぱいであちこち出歩いていたというわけではなく、70代の頃に患った病の関係もあり、以来、亡くなるまでのあいだ(20年とも30年とも言われる)外出することはほとんど皆無で、家の庭を散策しながら、生き物や植物たちをよく観察し、絵を描いていた。それでも守一にとって世界の広さ、面白さはそれでじゅうぶんだったようで、『へたも絵のうち』では、石ころ一つでも暮らしていけますとも語っている。
絵についても、名誉やお金どころか、素晴らしい芸術を描こうという気すらないと話し、とはいえ、このモリカズ様式と称されるスタイルを築いたのは70代になってからというから、なんとしても新しい道を開拓しようというのでもない、季節の巡りのような、自然な成り行きで変わっていったその先に、自分の眼差しにいちばん素直な、自身の形があったのかもしれない。
世の絵にも流行りがあって新しいものができるということは認めるにしても、そういった価値とは違うものもあり、結局は「自分」なんだと守一は言う。「やっぱり自分を出すより手はない。何故なら自分は生まれかわれない限り自分の中に居るのだから」