ポーランドの詩人で、1996年にノーベル文学賞を受賞しているヴィスワヴァ・シンボルスカ。彼女は、1923年に生まれ、2012年に、長らく住んだクラクフという古い都で亡くなる。生涯でそれほど多くの作品を残したわけではなく、なによりも静かな生活を大切にし、ひっそりと暮らしていたようだ。
シンボルスカの邦訳されている詩に、詩集『終わりと始まり』に収録された『一目惚れ』という恋愛詩がある。一目惚れ、という恋愛のありふれたモチーフながら、「出会い」の不思議さや尊さが、優しい言葉で丁寧に表現されている。
『一目惚れ』
突然の感情によって結ばれたと
二人とも信じ込んでいる
そう確信できることは美しい
でも確信できないことはもっと美しい以前知りあっていなかった以上
二人の間には何もなかったはず、というわけ
それでもひょっとしたら、通りや、階段や、廊下で
すれ違ったことはなかったかしら二人にこう聞いてみたい
いつか回転ドアで顔を突きあわせたことを
覚えていませんか?
人ごみのなかの「すみません」は?
受話器に響いた「違います」という声は?
── でも二人の答はわかっている
いいえ、覚えていませんねもう長いこと自分たちが偶然に
もてあそばれてきたと知ったら
二人はとてもびっくりするだろう
二人の運命に取ってかわろうなどとは
まだすっかり腹を決めていないうちから
偶然は二人を近づけたり、遠ざけたり
行く手をさえぎったり
くすくす笑いを押し殺しながら
脇に飛びのいたりしてきたしるしや合図はたしかにあった
たとえ読み取れないものだったとしても
三年前だったか
それとも先週のことか
木の葉が一枚、肩から肩へと
飛び移らなかっただろうか
何かがなくなり、見つかるということがあった
ひょっとしたら、それは子供のとき
茂みに消えたボールかもしれないドアの取っ手や呼び鈴に
一人の手が触れたあと、もう一人の手が
出会いの前に重ねられたこともあった
預かり所で手荷物が隣り合わせになったことも
そして、ある夜、同じ夢を見なかっただろうか
目覚めの後すぐにぼやけてしまったとしても始まりはすべて
続きにすぎない
そして出来事の書はいつも
途中のページが開けられているヴィスワヴァ・シンボルスカ『終わりと始まり』
昔、ある雑誌で、映画監督の行定勲さんが、好きな詩として、この『一目惚れ』を挙げていた。僕は、その雑誌がきっかけでこの詩を知り、また、それまで若干の抵抗もあった「詩」がもたらす面白さと感動を知った。偶然に翻弄された出会い、でも、何かが始まったとしても、それはずっと前から続いていたのかもしれない。詩情溢れる短い映画でも観ているような、映像的な表現によって、「確信できないことはもっと美しい」と、もう一つの世界を開けてくれる。
この詩集には、シンボルスカのノーベル文学賞記念講演の文章も収録され、“詩人”について、慎ましくも毅然とした調子で語られている。不断の「わたしは知らない」という、小さく、強力な翼こそが、詩人はもちろん、あらゆるインスピレーションにおいて大事だということ、また、それが、「わたしは知っている」という扇動家との違いなのだと、シンボルスカは言う。
詩人にとって大切な、この不断の「わたしは知らない」とは、言うなれば、「確信できないことはもっと美しい」ということなのかもしれない。