有名な格言に、「神は細部に宿る」という言葉がある。英語では、God is in the details.と書く。この言葉は、芸術やデザインの世界を筆頭に様々な分野で引用され、目にすることも多い。
ただ、これほど知られているにもかかわらず、一体誰が言ったのか、語源や由来は定かではないようだ
図書館のレファレンスデータに、この「神は細部に宿る」の由来を調べた結果が紹介されていた。国語、格言、慣用句、引用句、諺等の辞書辞典を調べても掲載はなく、その他、この言葉の使用者としてフローベルやニーチェといった海外の作家や思想家の名前が挙がっているものの、はっきりした起源は不明とある。
出典において謎が残る「神は細部に宿る」という一節だが、意味は、「細かい部分までこだわり抜くことで、全体としての完成度が高まる」と一般的に解釈されている。
全体や表面的な見た目ばかりを気にし、細かい部分を疎かにすれば、結果として作品全体の完成度も落ちる。だからこそ、本物は、細部に至るまで念入りにこだわりが貫かれている。
この意味自体は、分かりやすく、まさにその通りだと思う。と同時に、この言葉を、たとえば逆側の視点、すなわち受け手の側から言い換えてみると、「細かなほころびによって、その作品が神ではないことが見抜かれる」とも言えるのではないか。
絵にしても、写真にしても、映画にしても、作品を受け取っている側は、表現された「夢の世界」にいる。夢の世界とは、完全な神の世界でもある。しかし、もしその世界にほころびがあれば、すっと夢から覚める。世界が神ではなかった、と気づく。それゆえに、細部まで徹底する必要がある。
加えて、作品は、必ずしも作品の側だけで完結するものではないと思う。もし作品の側で完全を提示してしまえば、受け手が必要なくなる。明治期の思想家である岡倉天心は、完成品ではなく、未完成品ゆえに、受け手の想像力によって完成に至る、ということを指摘している。
また、無印良品の仕事で知られるデザイナーの原研哉さんも、何かが入る予兆としての空白の重要性に触れている。
敷き詰められた完全ではなく、余白の存在が、受け手も入る余地に繋がる。そんな風に考えると、この「神」とは、作品側のみに名付けられた固定的なものではなく、作品と、作品を享受する受け手との出会いの刹那に立ち現れる「空間」そのものを指すとも言えるのではないだろうか。
不完全というのは、手抜きでいい、というわけではもちろんなく、だからと言って、力んで細部を詰め過ぎても、出会いの空間という「神」は壊れる。
細部、というのは、思った以上に儚く、揺れやすく、厄介なものなのかもしれない。