シンプルとは
シンプルという言葉は、デザインから日々の生活、ファッションまで様々な場所で浸透している。たとえば、日常にある「シンプル」でもっとも浸透しているものとして、「iPhone」が挙げられる。iPhoneは、Appleの創業者スティーブ・ジョブズがシンプルを追求し、その哲学を形として結実させた作品と言える。
「アップルの成功は、“シンプルさ”に起因しています。インテルやデルといったライヴァル社は、このシンプルさを決して真似することができません」。広告代理店のクリエイティヴディレクターとして、長年スティーブ・ジョブズとともに働いてきたケン・シーガルは、自著『Think Simple アップルを生みだす熱狂的哲学』を通じて、アップルの強さをそう分析する。
シンプルは、日本語で直訳すると、〈簡素さ〉や〈単純さ〉といった意味になる。
繋がりや情報が増え、個々人の許容できる容量を大幅に越える現代社会では、いつの間にか自分自身を見失ってしまっていることもある。疲労も蓄積する。そのため、意識的にものごとを整理し、必要なものに絞る、といった工夫が求められる。情報化が進むほどに、シンプルやミニマリズム、断捨離といった「削ぎ落とす」方向に向かうのは、自然な作用でもある。
シンプルと余白の違い
西洋の概念としてシンプルがある一方で、日本でも古くから余白が重んじられ、侘び寂びや、もののあはれ、「間」の文化や無常観といった美観や死生観とも深く結びついてきた。一見すると同じような外観に繋がる、このシンプルと余白の感受性には、しかし、根本的な違いがあるように思う。
長谷川等伯『松林図(右隻)』
長谷川等伯『松林図(左隻)』
デザイナーの原研哉さんの著書『白』では、日本の「白」の感性は、日本古来の信仰心とも関連したものであり、「シンプル」というよりも、「エンプティネス(空白)」として捉え直そうと試みられている。原さんは、空白について次のように語っている。
白は時に「空白」を意味する。色彩の不在としての白の概念は、そのまま不在性そのものの象徴へと発展する。
しかしこの空白は、「無」や「エネルギーの不在」ではなく、むしろ未来に充実した中身が満たされるべき「機前の可能性」として示される場合が多く、そのような白の運用はコミュニケーションに強い力を生み出す。
空っぽの器には何も入っていないが、これを無価値と見ず、何かが入る「予兆」と見立てる創造性がエンプティネスに力を与える。
このような「空白」あるいは「エンプティネス」のコミュニケーションにおける力と、白は強く結びついている。
原研哉『白』
この指摘を見ても分かるように、余白の本質は、ぽっかりと開けられた空白(余白)の部分にある。
空白は、やがてここに「神」が宿り、また去っていく、「満ちる可能性」として置かれる。そう考えると、「シンプル」と「余白」の違いも、次のように言うことができるのではないか。
シンプルは、「そぎ落として残ったもの」に本質があり、日本の文化にある簡素さや余白、空白といった感受性は、その「空っぽの部分」に本質がある、と。
これはそのまま、神がどこに宿るのか、という東西の文化の違いとも言えるかもしれない。