心の強さと弱さというのは、紙一重や裏表な面もあるように思う。我慢して耐え抜く強さもあれば、違和感を察知して抜け出すことのたくましさもある。感受性が鋭いと、生きづらさもあるものの、生きづらさを感じ取れるというのは、大事な力でもある。
他人から見たら些細なことかもしれないことが気になる人もいる。震えるアンテナが、その都度なにかを掴んでしまっては揺れ動く。先回りして悪い想像ばかりが浮かんだり、部屋で不安な夜を過ごしたり、傷つかないように厳重な予防線を張ったり、あるいは、「失敗するのが怖くてわざと失敗する」ということもあるかもしれない。橋が壊れないかと不安で叩いてから渡る。でも、まだ不安で、怖くて、何度も何度も繰り返し叩いているうちにやがて橋が壊れ、音を立てながら崖の下に落ちていく。残骸を、ひとり眺めて泣いている。
僕自身、消えない怯えを抱え、かすかな風に煽られ、揺さぶられ、自分を守るために閉じてしまうこともあり、子供の頃には不登校になったこともある。そういった性格を変えたい、と思うこともある。でも、それは、そういった側面の自分を否定する、全て消し去ってしまう、ということではなく、なるべくならよい形で保って生かし、それでいて飲み込まれないようにしたいと、そんな風に思う。
詩人の茨木のり子さんの作品には、代表作の『自分の感受性くらい』のような読み手を鼓舞する詩もある。様々な方向に連れていこうとする情報や麻痺させるあれこれの溢れる世の中で、「自分の感受性くらい、自分で守れ」ということの大切さは、ますます実感する。一方で、茨木さんの作品には、弱さにそっと寄り添ってくれる優しい詩もある。たとえば、その一つとして、『汲む Y・Yに』が挙げられる。一般的には、「弱さ」と思われるような、ぎこちなさや、言葉がうまく出ないこと、頼りなさといったものを、「震える弱いアンテナ」と表現し、あらゆるいい仕事の核には、この「震える弱いアンテナ」があるのだ、と書く。
『汲む Y・Yに』
大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃立ち居振る舞いの美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背伸びを見すかしたように
なにげない話に言いました初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました私はどきんとし
そして深く悟りました大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです茨木のり子『茨木のり子詩集』
すれっからしとは、様々な経験を経て悪賢くなったり、人柄が悪くなったりすること。荒波にもまれて、すり減ったりずるく慣れてしまった末に、人を人とも思わなくなったとき、堕落が始まる。しかし、その反対に、たとえ言葉がうまく出てこなかったり、顔が真っ赤になったり、どぎまぎしたとしても、初々しさが大切であり、そして、いい仕事の核には、そんな「震える弱いアンテナ」が、きっと隠されているのだと、茨木さんは言う。その「弱さ」は、決して弱点ではなかった。その頼りない生牡蠣のような、繊細な感受性を、鍛え直す必要はなかった。むしろ、その感受性を保っていくほうが、難しいのだ。
詩の題名に添えられている「Y・Y」というイニシャルは、山本安英さんという新劇の女優さんのことで、まだ詩人になる前、茨木さんが文筆の道を進むに際して、励ましの手紙を送ってくれたのが、彼女との交友関係の始まりだったそうだ。若い頃、早く世の中に慣れたい、すれっからしになりたい、それが大人になることなんだと思っていた茨木さんの背伸びを見透かすように、不器用なままでいいんだと、初々しさが大切なんだということを、山本さんは伝えてくれたという。