芥川龍之介の遺書と「末期の目」

芥川龍之介が、自殺しようとする自らの心理を解剖するように分析し、解説した文章として、遺書の『或旧友へ送る手記』がある。この遺書には、自殺の原因として芥川が表現した、「ただぼんやりした不安」という一節も記されている。

芥川は、1927年(昭和2年)の7月24日。35歳の頃、自宅で服毒自殺を図った。昭和という時代が始まり、わずか半年あまりのことだった。改元後まもなくの作家の自殺。昭和の不安な空気感を表現したものとして、この芥川の「ただぼんやりした不安」という言葉は、今も語り継がれている。

『歴史写真』昭和2年9月号

自殺の原因は、「神経衰弱」と発表された。遺書はいくつか残され、その一つが、久米正雄に宛てたとされる、『或旧友へ送る手記』である。以下は、この手記の冒頭部に当たる。

誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心やあるいは彼自身に対する心理的興味の不足によるものであろう。

僕は君に送る最後の手紙の中に、はっきりこの心理を伝えたいと思っている。

もっとも僕の自殺する動機は特に君に伝えずともいい。レニエは彼の短篇の中にある自殺者を描いている。この短篇の主人公は何の為に自殺するかを彼自身も知っていない。

君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、あるいはまた精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。

しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。

自殺者は大抵レニエの描いたように何の為に自殺するかを知らないであろう。それは我々の行為するように複雑な動機を含んでいる。

が、少くとも僕の場合はただぼんやりした不安である。何か僕の将来に対するただぼんやりした不安である。

君はあるいは僕の言葉を信用することは出来ないであろう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にいない限り、僕の言葉は風の中の歌のように消えることを教えている。

従って僕は君を咎めない。

芥川龍之介『或旧友へ送る手記』

新聞の三面記事に掲載される自殺者の動機として、「生活苦」「病苦」「精神的苦痛」といった言葉を発見する。しかし、それは自殺の動機の「全て」ではなく、むしろ動機に至る「道程」だ、と芥川は書く。目に見えるような一つの原因があり、それゆえ自ら死を選んだと思われるかもしれない。しかし、実際は、その名付けられた原因というのも、自殺という選択をする道程を指したものだ、ということだろう。

また、別の遺書でも、「僕等人間は一事件の為に容易に自殺などするものではない。僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである」と書いている。これも同様に、「一事件」が仮にきっかけとはなったとしても、その一つが原因というわけではなく、「総決算」のためだ、と芥川は言う。

それから、先の遺書のなかで印象的な言葉として、「末期まつごの目」が挙げられる。

僕の今住んでいるのは氷のように透み渡った、病的な神経の世界である。僕はゆうべある売笑婦と一しょに彼女の賃金(!)の話をし、しみじみ「生きる為に生きている」我々人間の哀れさを感じた。

もしみずから甘んじて永久の眠りにはいることが出来れば、我々自身の為に幸福でないまでも平和であるには違いない。しかし僕のいつ敢然と自殺出来るかは疑問である。

ただ自然はこういう僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである。

僕は他人よりも見、愛し、かつまた理解した。それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である。

氷のように透み渡った病的な神経の世界で、今にも自殺に向かおうとするときだからこそ、いっそう自然は美しく見える。それは、世界が「末期の目」に映るからだ、と芥川は言う。

「自然はこういう僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである。」

この「末期の目」とは、死に向かっていくなかで見る世界への眼差し、といった意味なのではないかと思う。作家の川端康成は、「末期の眼」という昭和8年に書かれた随筆のなかで、この芥川龍之介の言葉について論じ、「あらゆる芸術の極意は、この〈末期の眼〉であろう」と書いている。

末期の目で世界を見ること自体は、あるいは、容易なことなのかもしれない、とも思う。しかし、末期の目で世界を眺めながら、自殺しないこと。その世界で見る美しさを、寸分の狂いもなく、この手にすくい取ること。画家にせよ、詩人にせよ、これが芸術家として存在し続けることの難しさでもある。

ちなみに、芥川龍之介に傾倒していた堀辰雄の小説『風立ちぬ』では、死の病に冒されていた節子の台詞として、「あなたはいつか自然なんぞが本当に美しいと思えるのは死んで行こうとする者の眼にだけと仰ったことがあるでしょう」という言葉が出てくる。

もしかしたら、これは芥川の遺書にあった「末期の目」を描写した言葉だったのかもしれない。

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