八木重吉の秋の詩

八木重吉は、1898年に東京で生まれ、1927年に29歳という若さで病によって亡くなる、優しく繊細な詩を書いた詩人である。教員をしながら詩作を行っていた重吉は、数多くの詩を残しているものの、生前は、『秋の瞳』という詩集が一冊刊行されたのみで、詩人としては全くの無名、重吉の評価が高まるのは、死後20年が経過した戦後のことだった。

重吉の詩は、春夏秋冬、季節の風景に、悲しみをそっと載せた短い詩が多く、たとえば秋の詩で言えば、『素朴な琴』という美しい祈りのような詩がある。

『素朴な琴』

この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美くしさに耐えかね
琴はしずかに鳴りいだすだろう

八木重吉『八木重吉詩集』

秋の美しさに耐えかね、素朴な琴が静かに鳴りいだす。この「耐えかね」という表現が印象深く、琴で奏でようとするのではなく、琴が自ら鳴ろうとするのでもなく、美しさに耐えかね、歌い出す。重吉の詩もまた、こんな風に、自然の美しさと、その美しさに内包される悲しみに呼応し、思わず鳴りいだすように生まれたのかもしれない。

この『素朴な琴』以外にも、重吉は、秋に照らされた世界を祝福するような、ほんのりと悲しく優しい秋の詩を書いている。

『秋の かなしみ』

わがこころ
そこの そこより
わらひたき
あきの かなしみ

あきくれば
かなしみの
みなも おかしく
かくも なやまし

みみと めと
はなと くち
いちめんに
くすぐる あきのかなしみ

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『秋』

秋が くると いふのか
なにものとも しれぬけれど
すこしづつ そして わづかにいろづいてゆく、
わたしのこころが
それよりも もつとひろいもののなかへくづれて ゆくのか

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『秋の日の こころ』

花が 咲いた
秋の日の
こころのなかに 花がさいた

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『白い 雲』

秋の いちじるしさは
空の みどりを つんざいて 横にながれた白い雲だ
なにを かたつてゐるのか
それはわからないが、
りんりんと かなしい しづかな雲だ

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『秋の 壁』

白き
秋の 壁に
かれ枝もて
えがけば

かれ枝より
しづかなる
ひびき ながるるなり

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『ちいさい ふくろ』

これは ちいさい ふくろ
ねんねこ おんぶのとき
せなかに たらす 赤いふくろ
まつしろな 絹のひもがついてゐます
けさは
しなやかな 秋
ごらんなさい
机のうへに 金糸のぬいとりもはいつた 赤いふくろがおいてある

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『秋』

こころがたかぶってくる
わたしが花のそばへいって咲けといえば
花がひらくとおもわれてくる

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『壁』

秋だ
草はすっかり色づいた
壁のところへいって
じぶんのきもちにききいっていたい

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障子しょうじ

あかるい秋がやってきた
しずかな障子のそばへすりよって
おとなしい子供のように
じっとあたりのけはいをたのしんでいたい

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『木』

はっきりと
もう秋だなとおもうころは
色色なものが好きになってくる
あかるい日なぞ
大きな木のそばへ行っていたいきがする

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ひびき

秋はあかるくなりきった
この明るさの奥に
しずかな響があるようにおもわれる

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『秋のひかり』

ひかりがこぼれてくる
秋のひかりは地におちてひろがる
このひかりのなかで遊ぼう

刹那の風景や悲しみを描いているはずなのに、不思議と永遠のようにも思える。詩人の高村光太郎は、八木重吉の詩について、詩集の序文で、「きよい、心のしたたりのような詩」と表現している。

詩人八木重吉の詩は不朽である。このきよい、心のしたたりのやうな詩はいかなる世代の中にあっても死なない。これらのやさしい詩をよんで却って湧き出づる力を与へられ、これらの淡々たる言葉から無限のあたたかさに光被せられる思いをする。

八木重吉『八木重吉詩集(彌生書房)』

重吉の詩集を読むと、秋の詩に限らず、季節や様々な自然の風物、日常の光景を載せた、まさに、清く、心のしたたりのような詩が、ぽろぽろと零れ落ちる涙のように、あるいは、ひらひらと散っていく花びらのように続く。

重吉の詩は、決して難解な言葉や表現は使われず、素直に差し出されるゆえに、詩は難しいと感じる人や、子どもにとっても読みやすいように思う。

静かに、ひとりの悲しみに寄り添ってくれる。

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