東郷青児と洋菓子の包装紙

東郷青児とうごうせいじは、1897年(明治30年)生まれで、昭和に活躍した洋画家である。モダンな雰囲気で、デザインやイラストレーションのような画風でありながら、日本的な叙情性も備えた美人画を多く描いた。東郷青児という名前は本名ではなく(本名は東郷鉄春てつはる)、青児という名は、青山学院の中等部を卒業したことに由来するとされる。

東郷青児は若い頃、画家で詩人の竹久夢二が日本橋に開いた「港屋絵草紙店」で夢二の作品の写しを手伝っていた。

この辺りの関係性はごちゃごちゃしているようで、夢二の妻だったたまきが、店に出入りしていた画学生のなかでまだ17歳の東郷青児を気に入り、夢二の絵の写しをお願いするようになる。夢二はすでに有名画家で、恋多き男だった。

いつも寂しそうにしているたまきに東郷青児は惹かれ、たまきもまた弟のように可愛がった。この二人が恋仲にあるのではないかと疑った夢二が、富山の海岸でたまきの腕を刺す、といった事件も起こしている。

実際に二人のあいだに関係があったかどうかは分からない。東郷青児自身は、のちに否定している。いずれにせよ、東郷青児の美人画には、夢二の影響が色濃く反映されていることは確かではないかと思う。

竹久夢二『雪の夜の伝説』

東郷青児『望郷』

大正ロマンを代表する竹久夢二と、昭和の時代に活躍し、長期のフランス留学など西洋の影響もいっそう深く受けている東郷青児では、多少毛色の違いも見られる。しかし、描かれる女性に備わっている憂いや悲しみは両者に共通した特徴と言えるのではないか。

また、憂いを帯びた美人画、という画風だけでなく、決して明るい雰囲気ではないもののデザイン性が高く、商品的な価値として大衆的に人気となった点も共通している。

その東郷青児のデザイン性を物語る上で欠かせないものの一つが、「包装紙」である。

ケーキなどの甘い洋菓子が纏う包み紙には、東郷青児デザインのものが数多くあり、ファンはお気に入りの紙を手作りの封筒やしおり、ブックカバーにしたという話も残っている。

洋菓子の包装紙だけでなく、2007年に惜しまれつつも閉店した吉祥寺の老舗喫茶店「ボア」は、東郷青児がプロデュースし、店のロゴからケーキを入れる箱、包装紙、マッチデザインなど細部に至るまで手がけた。

この「ボア(BOIS)」というのは、フランス語で「森」を意味している。これは、東郷青児がフランスに留学したパリ郊外のブーローニュの森と、店の近くの井之頭公園の森を重ね合わせて名付けられた名前だと言う。

東郷青児「ボア」の包装紙

東郷青児「ボア」のケーキボックス

これは「ボア」で使用された東郷青児デザインの包装紙(上)やケーキボックス(下)で、森がイメージされたデザインとなっている。他にも、たくさんの包装紙を手がけているが、どれも東郷青児のスタイルは崩さず、同時にデザイン性の高さや、包まれる品物との調和が保たれている。

昭和35年から40年頃、ボアでは、ケーキの箱のおまけとして月代わりに12種類のしおりがつけられていたと言う。しおりには、東郷青児の絵が描かれ、全ての絵に「Bois」のロゴが入っている。しおりの裏面には、ランボーやアポリネールといった詩人の名詩と、その詩に呼応するような店のキャッチコピーが載っていた。

さわれ 去年の雪 今いずこ ─── ヴィヨン 空の色 移り変わりあれど 何時も変わらぬ美味のケーキ  ボア

東郷青児「フランセ」の包装紙

これは、横浜の洋菓子店「フランセ」の包装紙である。創業者の高井二郎さんが、親しい関係だった東郷青児に依頼し、イメージを作り上げていったそうだ。

上品な雰囲気が漂う。美しい異国の女性と、黒を基調とした高級感が馴染んでいる。

東郷青児「御菓子司青柳」の包装紙

これは、東郷青児の故郷でもある鹿児島の銘菓「御菓子司青柳」で、洋菓子の包装紙として東郷青児の絵柄が使用されている。

描かれるパリ風の華やかさと、日本的でどこか寂しげな情緒が共存している。

東郷青児「アルプス洋菓子店」の包装紙

東京駒込にある「アルプス洋菓子店」の包装紙は、洋菓子らしい洋風の雰囲気で、きらびやかでありながら、大人っぽさや高級感も演出された色味となっている。

創業60年の老舗洋菓子店だったが、2019年3月で閉店となっている。

東郷青児「フラマリオン」の包装紙

東京久が原の老舗洋菓子店「フラマリオン」。創業は昭和34年。豪奢な帽子をかぶった女性が描かれている。

先代の社長と東郷青児が知り合いだったようで、創業以来、今でも東郷青児デザインの包装紙で洋菓子を包んでいる。

京都の「喫茶ソワレ」、四条木屋町にある青い光に満ちた美しく甘美な喫茶店。看板やショップカード、コースターだけでなく、東郷青児の油彩や水彩の絵もコーヒーと一緒に堪能できる。

創業は昭和23年。創業者が東郷青児の絵を好み、店内に飾っていた際、東郷青児本人が訪れ、以来、親交が深まっていったと言う。

東郷青児「フランセ」の包装紙

東京渋谷の洋菓子店「フランセ」。簡素ながら優美なパリジェンヌの絵が描かれている。少女漫画やイラストタッチの可愛さもある。昭和32年創業の老舗だったが、平成18年で閉店(追記 : 今は表参道に移転しているようだ)。

東郷青児「成城アルプス」の包装紙

東京の成城にある洋菓子店「成城アルプス」。青みがかった包み紙に、エッフェル塔を背景にしたパリジェンヌが描かれ、繊細で美しく、高級感と哀愁が漂う(参考 :  野崎泉『東郷青児 蒼の詩 永遠の乙女たち』)。

どの包装紙の絵も、東郷青児の画風やうっすらと漂う哀感と、デザイン性が、何一つ反発し合うことなく、一つの商品として結実している。その他、包み紙だけでなく、お菓子の缶や、自由が丘「モンブラン」のショッピングバッグなどにも東郷青児の絵が施されている。東郷青児の作風は、芸術としての質だけでなく、消費社会とも非常によく馴染んだことが伺える。

昭和の頃、彼のデザインが人気だったことから、よく似た東郷青児風のデザインも現れたそうだ。

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