原研哉と無印良品の哲学

原研哉と無印良品

ニューズウィーク日本版の企画「世界が尊敬する日本人100」に、デザイナーの原研哉氏が選ばれた。

原研哉と言えば、白を基調とした簡素なデザインで評価の高いデザイナーで、代表的な仕事はなんと言っても「無印良品」である。

無印良品は、一時低迷期を迎えるものの、2001年に原研哉氏と、プロダクトデザイナーの深澤直人氏をメンバーに招聘し、以来、あの強固なブランドイメージが構築されていく。

原研哉の仕事 / 原デザイン研究所

ただ、全く新しい形に生まれ変わったというよりも、もともと無印良品にあった思想や哲学を、原研哉氏ら新しいデザイナー陣が、さらに美的に研ぎ澄ませたと言える。

無印良品の起源は、1980年のこと。高度成長期やバブル前夜の浮き足立った時代に産声をあげる。

当時の時代背景を考えると、実は無印良品は、一般的に抱かれる柔和なブランドイメージとは異なる、強い反骨心や哲学を持っていることが分かる。

と言うのも、その頃の消費者は、今以上にメーカーの「ブランド」にこだわりを持った、すなわち「印」を求めていた。しかし、「無印良品」は、その時代の潮流に真っ向から逆らうように、「無印」というアンチブランド的なスタンスを取った。

無印良品(MUJI)は、時代のアンチテーゼとして誕生した。バブルへと向かう消費社会の真っただ中だった1980年、西友のプライベートブランド(PB)としてスタートした。

当時の日本は、個性あるデザインや柄、ブランドの「印」を付けた商品にあふれていた。そのような時代に、ブランドの「印」に頼らないで、「商品そのもの」の良さを訴求した商品シリーズとしてMUJIは誕生した。

無印良品の独自性を生み出した「アンチテーゼ」

この先見性のある「無印良品」を立ち上げた中心人物の一人に、セゾングループの代表で、詩人でもあった故堤清二つつみせいじ氏がいる。

堤氏は、この無印良品というアイディアの裏に、思想家のジャン・ボードリヤール著『消費社会の神話と構造』の影響があったと語っている。

当時セゾングループ代表だった堤清二は企画立ち上げの経緯について、哲学者のジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』などに触発され、商品にブランド名が付くだけで価格が上昇する現象に疑問を持ち、ブランドを与えない事で価格を抑える方が消費者に喜ばれると考えたことが動機となったと述べ、発足当時には「無印良品」を「反体制(アンチブランド)商品」と呼んでいたと明かしている。

良品計画

ボードリヤールは、著書で、大量消費社会では、モノの本質よりもモノに付随する「記号」が商品価値となり、記号が、実際のモノに備わっている価値以上の価値をつける効力を発揮する、と指摘している。

このブランドという「記号(印)」が売買される消費社会の現象に対する「アンチテーゼ」として、無印良品は誕生したのだった。

 

最初の商品

無印良品の一番最初の商品は、干し椎茸の「われ椎茸」と、鮭の缶詰の「鮭水煮」である。

無印良品のわれ椎茸

無印良品の鮭水煮

干し椎茸は、生のしいたけと比較すると、香りや旨味も高く、栄養価にも優れ、風味豊かな出汁としても活用でき、味噌汁などに入れたら絶品の食材だ。

しかし、一方で値段が高く、日常の食材として使われる機会も減っていた。そのイメージを覆したのが、無印良品のわれ椎茸だった。

われ椎茸の安さの秘訣は、「われている」ということにある。本来なら、見栄えの綺麗なものだけが使用されている干し椎茸を、多少見栄えが悪くても素材として問題のないものも一緒に使うことで、選別工程などのコストカットに成功する。

そのぶん、価格も抑えられる。

無印良品の創業当時のメンバーでもあり、クリエイターでコピーライターの小池一子氏は、「われ椎茸」について次のように語っている。

生産の現場で欠けたり、輸送中に割れたりしたしいたけは、十分においしいのにもかかわらず、正規の流通ルートに乗らなかったのです。

丸いきれいな形のしいたけだけがパッケージに入っていないといけないという、業界の通念が自主規制のようになっていたからです。

そうした業界の通念に対するアンチテーゼを打ち出そうという思想が無印良品には込められており、割れしいたけは、それを具体化した例です。

「MUJIはこうして生まれた」創作チームからの証言

根底にあるのは、やはり大きな流れや固定観念に対するアンチテーゼだった。

割れている、というだけで素材の本質に変化はない。それなら、その「本質」を大切にしよう、という無印良品の哲学が、この商品からも垣間見える。

このとき、広告コピーも、「割れ椎茸が、笑った。」というユニークなものだった。

決して粗悪品や余り物といった卑屈でネガティブなものではなく、あくまで、“これもまた自然体である”とでも言うような姿勢が印象的なコピーだ。

もう一つの最初期の商品、「鮭水煮」も同様である。

本来なら見栄えを重視して捨ててきた魚の部位も一緒に使うことで、「丸ごと使う」という本質を追求しながら、コストカットも果たす。

キャッチコピーは、「しゃけは全身しゃけなんだ。」

体裁にとらわれることなく、素材を無駄なく使う。実用を重視して、無駄な選別をしない。

この缶詰で培われたものづくりの考え方は、その後の無印良品の指針になり、多くの商品の開発につながっていきました。

無印良品アーカイブ「1980年 鮭水煮」

こうした初期の商品を見るだけでも、無印良品には創業当時から強固なメッセージ性があったことが伺える。

無印良品

そして、無印良品の誕生(1980年)から約20年。その頃、ユニクロなどのブランドも台頭し、無印良品は業績の低迷に喘いでいた。

そういった状況下でメンバーに加わったのが、冒頭で触れた、デザイナーの原研哉氏だった。

原研哉氏は、1958年生まれの岡山県出身、武蔵野美術大学大学院を卒業後デザイナーとなる。

現在は株式会社日本デザインセンターの代表取締役で、グラフィックデザイナー協会の副会長でもある。

無印良品のメンバーに原研哉氏が加入したのは、2001年のこと。原氏はすでに1998年には長野冬季五輪の開会式、閉会式のプログラムも手がけているなど実績も十分だった。

長野冬季オリンピック 開・閉会式プログラムデザイン

この原研哉というデザイナーの感性によって加わったのが、今の無印良品の雑貨や衣類の他、ホテル事業や道の駅など様々なプロジェクトに一貫して流れる美的統一性であり、また、一段と強固な思想となった「これでいい」という哲学だった。

無印良品の哲学、無印良品が願う世界というのは、2002年に発表された「無印良品からのメッセージ  “無印良品の未来”」に込められている。

企業が発する文章で、このメッセージ以上の名文を知らない。少し長くなるが、一部を引用したいと思う。

無印良品はブランドではありません。無印良品は個性や流行を商品にはせず、商標の人気を価格に反映させません。無印良品は地球規模の消費の未来を見とおす視点から商品を生み出してきました。

それは「これがいい」「これでなくてはいけない」というような強い嗜好性を誘う商品づくりではありません。無印良品が目指しているのは「これがいい」ではなく「これでいい」という理性的な満足感をお客さまに持っていただくこと。

つまり「が」ではなく「で」なのです。

しかしながら「で」にもレベルがあります。無印良品はこので」のレベルをできるだけ高い水準に掲げることを目指します。「が」には微かなエゴイズムや不協和が含まれますが「で」には抑制や譲歩を含んだ理性が働いています。

一方で「で」の中には、あきらめや小さな不満足が含まれるかもしれません。

従って「で」のレベルを上げるということは、このあきらめや小さな不満足を払拭していくことなのです。

そういう「で」の次元を創造し、明晰で自信に満ちた「これでいい」を実現すること。それが無印良品のヴィジョンです。

無印良品のメッセージ「無印良品の未来」

散乱する「記号」を追いかける「これ“が”いい」の世界が、利益の独占や環境破壊など、様々な軋轢を生んできた。

こうした世界に、理性と美しさを伴った「これ“で”いい」という価値観を無印良品は提唱しようとする。

しかも、どうでもいい、といった諦めの“で”ではなく、「これ(無印)“で”いい」という納得の“で”である。

質を落とさない“で”によって、決して理性と美を諦めない「生活」を無印良品は示し続けようとする。

無印良品は低価格のみを目標にはしません。無駄なプロセスは徹底して省略しますが、豊かな素材や加工技術は吟味して取り入れます。つまり豊かな低コスト、最も賢い低価格帯を実現していきます。

このような商品をとおして、北をさす方位磁石のように、無印良品は生活の「基本」と「普遍」を示し続けたいと考えています。

無印良品のメッセージ「無印良品の未来」

今や、無印良品(MUJI)は日本国内だけでなく海外でも人気の企業であり、アジアやヨーロッパへも続々と進出している(2019年4月にはスイスに第一号店が出店した)。

ヨーロッパでは特に、無印良品のデザインに、「禅」や「わびさび」といった日本文化を見ることも多いようだ。

無印良品とクリエイター|原研哉

実際、原研哉氏も、日本的なシンプルの感性を「空っぽ(エンプティネス)」という言葉で説明している。

日本の伝統のなかにある簡素というのは、西洋が生み出したモダニズムのなかの合理性とは少し違う性格を持っていて、それを僕は「空っぽ(エンプティー)」と呼んでいます。

無印良品とクリエイター|原研哉

原氏が語る「空っぽ(エンプティネス)」とは、合理的で機能的なデザインを目指したモダニズムの延長にあるシンプルではなく、茶室のような「空白」によって使い手に想像を委ねた簡素性のことである。

日本の伝統的な美的感受性の一つに、この「空っぽ」の感覚がある。それは、「神が宿る可能性」としての不在でもある。

現代社会は、AppleやGoogleなど、いわゆる「GAFA」と呼ばれるIT企業が席巻しているが、無印良品も、極めて東洋的、日本的な企業として、世界に価値ある世界観を表現しているように思う。

良品計画『素手時然』

創業メンバーの小池一子氏と、原研哉氏で編集、古今東西の写真と名言で紡がれた『素手時然そしゅじねん』は、無印良品のコンセプトブックであり、無印の世界観を知るのに最適の良書と言える。

また、原氏の「空っぽ(エンプティネス)」の美学について学ぶのであれば、『白』もまたおすすめの一冊として挙げられる。

簡素の哲学 ─ シンプルと余白の違い ─

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