中原中也『雪が降ってゐる……』

詩人の中原中也が1929年に書き、後年加筆修正を行なった作品で、詩集としては未発表の『雪が降ってゐる……』という詩がある。中也の詩には、いくつか「雪が降っている」ことが表現されている作品がある。

○汚れつちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる(『汚れつちまつた悲しみに……』)

○幼年時 私の上に降る雪は 真綿のようでありました(『生ひ立ちの歌』)

○雪が降るとこのわたしには、人生が、 かなしくもうつくしいものに── 憂愁ゆうしゅうにみちたものに、思えるのであった(『雪の賦』)

その中也にとっての「雪の詩」としてもっとも最初期の頃に書かれたと考えられる詩が、この『雪が降つてゐる……』である。

雪が降つてゐる、
  とほくを。
雪が降つてゐる、
  とほくを。
捨てられた羊かなんぞのように
  とほくを、
雪が降つてゐる、
  とほくを。
たかい空から、
  とほくを、
とほくを
  とほくを、
お寺の屋根にも、
  それから、
お寺の森にも、
  それから、
たえまもなしに。
  空から、
雪が降つてゐる
  それから、
兵営にゆく道にも、
  それから、
日が暮れかゝる、
  それから、
喇叭らっぱがきこえる。
  それから、
雪が降つてゐる、
  なほも。

中原中也『山羊の歌  –  中原中也詩集  -(佐々木幹郎編)』

延々と繰り返される「雪が降っている」という言葉が、悲しみの音色のようにも聴こえる。そして、その悲しみは、すぐ近くで触れられるようなものではなく、遠くを、ただ静かに降り続けている。

この詩を中也が最初に書いたのは1929年だった。その後、しばらく寝かせ、若くして亡くなる中也にとって最晩年に当たる1937年、詩集『在りし日の歌』の編集の時期に、加筆修正が行われている。

もともとの詩は、全体の形は概ねこのままであったものの、修正稿よりもだいぶ短く、雪が降っている光景だけが、より簡素に表現されている。

雪が降つてゐる、
  とほくを
捨てられた羊かなんぞのやうに
  地平線に、
雪が降つてゐる、
  畑の上に。
たかい空から、
  雪が降つてゐる
お寺の庭にも、
  お寺の屋根にも、
たかい空から、
  たえまもなしに。
雪が降つてゐる
  兵営にゆく道にも
日が暮れかゝる、
  ───喇叭がきこゑる。

中原中也『雪が降つてゐる……』(初期)

違いとして、初期の詩では、「とほくを」という言葉が一度しかなく、「それから」という言葉もない。一方、修正稿では、「とほくを」と「それから」が繰り返され、音楽的になり、それゆえに、「雪が降っている」ことが象徴する寂しさが際立っているように思える。

また、詩の最後で、「雪が降つてゐる、 なほも。」という一節も加わっている。雪が降り続け、これからも降り止むことがない、という物悲しい心象が伝わってくる。

中也は、この前年に、長男として愛していた文也が、幼くして亡くなっている。日記帳には、毛筆で「降る雪は いつまで降るか」という文字が書かれ、この言葉は、自分で「×」印を上書きして消している。中也にとっては、長男だけでなく、子供の頃には弟も亡くし、また恋人が友人のもとへ去っていくなど、「喪失」の経験が、彼の詩作にとって深く影響を与えてきた。

遠くを降っている雪のリフレインには、ほんのりと温かみもあるものの、同時に、宿命的で、「なほも。」によってひときわ、どうしようもない、永遠の悲しみが切実に響いてくる。

しかし、同時に、その「悲しみ」によって、中也は詩を書いている。

詩的履歴書 ───  大正四年の初め頃だつたか終頃であつたか兎も角寒い朝、その年の正月に亡くなつた弟を歌つたのが抑々の最初である。

中原中也『我が詩観 詩的履歴書』

そのことを考えると、遠くを、いつまでも降りやまないことは、必ずしも悲哀というだけではなく、美しさもあるゆえの雪の描写になっているのだと思う。

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