松尾芭蕉の最後の句

江戸時代の俳諧師で、『おくのほそ道』で知られる松尾芭蕉には、辞世の句とも称される、「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」という句がある。

弟子たちの諍いの仲介のため、大阪に向かう旅に出た松尾芭蕉は、到着後まもなく体調を崩し、一時持ち直すも、病状が次第に悪化。門弟に看取られながら、51歳で亡くなる。この「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という句は、芭蕉の死の4日前に詠まれた。句の意味は、「旅のさなかで病床に臥していながら、夢のなかでは尚も枯野を駆け巡っている」となる。

解釈は分かれるだろうが、個人的には、旅の途中で病に倒れ、それでも夢のなかではまだ枯野を駆け巡っている、いつかまたそんな日は訪れるのだろうか、きっともう訪れないのだろう、といった悲しみさえも伝わってくるような気がする。人生を旅だと考えていた芭蕉にとって、如何にも辞世の句にふさわしい言葉のように思う。

しかし、どうやら、この死の直前に詠んだ句が、芭蕉の「辞世の句」かどうか、という点については議論があり、ただ「最後の句」といった表現がなされることもある。議論が分かれる理由の一つとして、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という句に、わざわざ、「病中吟」、すなわち、病床にあって詠んだ句、と前書きが置かれている、という点がある。

そもそも、「辞世」というのは、東アジアに特有の風俗で、死を前にして、この世への別れを告げる際に書き残す詩的な短文を指し、中世以降の日本でよく作られた。この辞世の句において重要になってくるのが、自身が死を意識し、この世に書き残すものとして作ったか、という点にあり、本文で「旅に病んで」と書いているにもかかわらず、あえて「病中吟」と前置きまでしていることから、芭蕉にとって辞世の句という意識では書いていないのではないか、という指摘がある。あくまで病中の句であり、辞世の句ではなく、あるいは、この句には、まだ、もう一度元気になって、旅を続ける、という強い意思の表れも含意されていたのかもしれない(しかし僕には悲しみが感じられる)。

また、この句だけが、特別辞世の句とは言えないと考えられる、もう一つの理由が、芭蕉の死生観や辞世に関する考え方にあり、芭蕉の信念として、弟子に辞世の句を求められた際の「平生へいぜいすなわち辞世なり」という言葉が挙げられる。平生とは、日頃という意味で、平生すなわち辞世、常に死を意識しながら、日々の一句一句を辞世の想いで詠んでいる、という考え方だったことから、これだけが特別辞世の句だ、と言って詠むものではない、といった姿勢が伺える。人生は旅だと考えた松尾芭蕉は、また、「平生すなわち辞世なり」という信念も持っていた。芭蕉にとって、日々は、生の始まりながら、かつ終わりでもあり、また旅の途上でもあったのだろうか。そう考えると、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という句が、結果として最後の句ではあったとしても、単独でそれのみ辞世の句とするのは、確かに馴染まないのかもしれない。

一方で、旅する俳諧師の辞世の句として、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の収まりは非常に美しくもあるので、芭蕉の辞世の句と言いたくなる感覚も分かる(広い意味では、死を意識していない生前最後の句も含めて「辞世の句」と呼ぶこともあり、この句も辞世の句とまとめられていることがある)。

それにしても、遺書などとはまた違う、辞世という文化は、死を含めた命、散るからこその花、という締まりを、いっそう深く与えてくれるように思う。

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